Bundesliga
ブンデスリーガの歴史を彩ってきた外国籍プレーヤーの系譜を紐解く当連載の第3回は、アメリカにスポットライトを当てる。
シャルケのウェストン・マッケニー、ライプツィヒのタイラー・アダムズ、ドルトムントのジョヴァンニ・レイナ、ブレーメンのジョシュ・サージェント……。今や“米国産若手プレーヤー”はブンデスリーガのトレンドの一つとなったが、アメリカ国籍選手の活躍は今に始まったことではない。
1990/91シーズンにカイザースラウテルンのリーグ優勝に貢献したFWトーマス・ドゥーリーや現シャルケ監督のデイヴィッド・ワグナーら“ドイツ生まれのアメリカ国籍選手”を除けば、ブンデスリーガ初のアメリカ人選手となったのはエリック・ウィナルダだ。
1992年夏にザールブリュッケンに加入すると、初年度に前半戦だけで8ゴールと躍動。アメリカがまだ「サッカー不毛の地」と呼ばれていた時代に鮮烈なインパクトを残した。ケガもあり活躍期間は短かったが、ドイツへの道を切り拓いた先駆者と言える。
ウィナルダに遅れること3年。1995/96シーズンの開幕戦でブンデスリーガデビューを果たしたのが、ドルトムントに所属するジョヴァンニ・レイナの実父、クラウディオ・レイナだ。3シーズンを過ごしたレーバークーゼンでは思うようなプレーを見せられなかったが、1997年夏に加入したヴォルフスブルクでは視野の広さとキャプテンシーを兼備したセントラルMFとして活躍。バイエルン・ミュンヘン、ドルトムント、ハンブルガーSVから各2ゴールを奪うなど、強豪クラブとの対戦で勝負強さを発揮する名手だった。
ウィナルダとレイナはともにアメリカサッカー界の殿堂入りを果たしているが、ブンデスリーガの歴史に最も深くその名を刻んだアメリカ人と言えば、1999年1月から現役引退する2014年3月まで15年間にわたってハノーファーでプレーしたスティーブ・チェルンドロだろう。
チェルンドロは豊富な運動量と堅実なプレーが持ち味の右サイドバックとして、クラブ歴代最多のブンデスリーガ302試合に出場。マルティン・キント会長が「ハノーファーの象徴」と称する正真正銘のレジェンドだ。
アイントラハト・フランクフルトの下部組織で育ち、ニュルンベルクとフランクフルトでブンデスリーガ通算200試合以上に出場しているティモシー・チャンドラーも、レジェンドの仲間入りを果たすのは時間の問題だ。
現在の“米国産若手ブーム”の火付け役と言うべき存在が、2016年1月に17歳133日の若さでブンデスリーガデビューを果たしたクリスティアン・プリシッチだ。ドルトムント攻撃陣のキーマンとして、他の追随を許さないスピードと卓越したドリブルを武器に活躍。レーバークーゼンやバイエルンでプレーしたランドン・ドノヴァン、ハノーファーでわずか4試合出場に終わったダマルカス・ビーズリーなど、本領を発揮できなかった選手も多かっただけに、瞬く間にスターダムへのし上がったプリシッチの衝撃は特大だった。
文=遠藤孝輔