Bundesliga
シュトゥットガルトのレジェンドであるギド・ブッフバルトは「第二の故郷」と呼ぶ日本でもサッカーファンに愛されている。
VfBシュトゥットガルトの日本ツアー中に行われた様々な活動の場には、現所属の選手たちに加えてクラブのレジェンドの姿もあった。その一人が63歳のギド・ブッフバルトだ。ドイツだけでなく日本サッカー界にも大きな功績を残した元ドイツ代表の名ディフェンダーは「ここ(日本)は私にとって第二の故郷だよ」と表情を緩めた。
シュトゥットガルトのあるバーデン=ヴュルッテンベルク州で育ったブッフバルトは、ブンデスリーガ2部のシュトゥットガルト・キッカーズでデビューし1年目からレギュラーの座を獲得。中心選手として活躍し、22歳の時にライバルのVfBに加入してブンデスリーガデビューを果たした。
188cmの長身を活かした空中戦の強さや的確なタックルによるボール奪取能力を武器に、ドイツ有数の守備の達人へと成長したブッフバルトは1994年に退団するまでの11年間でブンデスリーガ通算325試合に出場、25得点を決めている。1983/1984シーズン、そして1991/92シーズンにはブンデスリーガ優勝を成し遂げ、クラブの歴史に名を刻んだ。
西ドイツ代表としては1984年にデビューし同年と1988年の欧州選手権に出場したほか、1990年のワールドカップにも主力として出場。全試合にフル出場し、特に決勝戦でアルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナを封じ込めたパフォーマンスは今でも語り草になるほどで、西ドイツ優勝の立役者の一人となった。
そのブッフバルトがシュトゥットガルトを離れたのは1994年ワールドカップの直後、行き先は創設されたばかりのJリーグの浦和レッズだった。当時既に33歳ながらブッフバルトは低迷していた浦和ですぐにチームの絶対的支柱として君臨し、チームを躍進に導く活躍を見せた。
1995年から2年連続でベストイレブンに選ばれるなどリーグ屈指のセンターバックとしての評価を確立し、サポーターから愛された。3年半のプレーでJリーグ通算127試合に出場、11ゴールを挙げ、現在もJリーグ史上に残るセンターバックとしてその功績は忘れられていない。
その後ドイツに戻り現役を退いたブッフバルトが再び日本にやって来たのは、2004年のことだった。強豪へと成長した浦和の監督に就任すると、選手の個性を活かした攻撃的なサッカーで1年目からJ1リーグのステージ優勝とカップ戦準優勝を達成。2年目もリーグ2位、天皇杯では優勝と常にタイトルを争う手腕を発揮した。
そして2006年にはクラブ悲願のJリーグ初制覇を成し遂げ、最後の試合となった天皇杯決勝戦では2連覇を達成して、選手だけでなく監督としても浦和の絶対的レジェンドの座を築き上げた。
多くの関係者にとって初めての来日だったシュトゥットガルトの日本ツアー中、多くの場で日本のファンに写真やサインを求められ笑顔で対応したブッフバルトにとって、古巣と「第二の故郷」を繋ぐ橋渡しの役割を果たした今回の1週間は、特別な時間だったに違いない。